芝浦 石川の歴史

石川の創業は大正8年。変わりゆく時代とともに、石川にもさまざまな変化がありました。大正時代より東京湾を見つめてきた、芝浦石川の歴史をご紹介します。

創業期

芝浦石川が創業したのは大正8年。初代の石川朝五郎が、結婚を機に芝浦へ移り住み、海苔の養殖業として始めました。今はオフィスビルが立ち並ぶ芝浦も、当時は人の背丈ほどもある葦原が一面に広がっていました。当時は今のような大型の屋形船ではなく小型(10人乗り位)の屋形船の営業も営んでいました。

やがて、芝浦は海で遊ぶ若者たちでにぎわい始め、大正の終わりごろから釣り船や貸しボートも始めるようになります。

戦争中~戦後

第二次大戦中には近くに軍需工場があったため、B29が何度も芝浦付近を空襲。ほとんどの船が焼けてしまい、残った船はわざと穴を空けてひとまず海に沈め、焼けないようにしていました。

しかし、戦争が終わると進駐軍がやってきて、残った船のエンジンを持っていってしまいました。
こちらの写真は、のりの簀(す)を洗っているところです。後ろにのりが干してあります。

戦後~昭和中期

戦後はすぐに新しい船を造り、再び貸しボートや釣り船を始めます。多いときには、全部で30隻ほどの船を所有していました。付近の埋め立てにともない、昭和37年に海苔の漁業権を放棄すると、釣り船が主になりました。

ただ、昭和40年代に入ると東京湾の汚れがひどくなり、神奈川の観音崎や、千葉の洲崎付近まで船を出さないと魚が釣れませんでした。

昭和後期

時代の変化にともなって、釣り船を利用するお客さまも減り、昭和62年から再び屋形船を始めました。波が穏やかなお台場には、そのころからよく屋形船を停泊させていました。

今は見事な夜景のお台場ですが、そのころは工事中のため夜は真っ暗。レインボーブリッジもまだ建設中でした。

現在

現在は屋形船が主になっています。家族経営という点を生かして、親切なサービスを心がけています。「また来るよ」と言ったお客さまが、本当にまた来てくれたときはうれしいですね。

多くの方に屋形船を楽しんでいただけるよう、日々精進しています。みなさまのお越しを、心よりお待ちしています。

季節の乗りどころ

忘年会や新年会、歓送迎会だけではない、屋形船の楽しみ方をご紹介します。
ご利用シーンに合わせたおすすめプランをご紹介いたします。